時代別 多様な漢服

ニーハオこんにちは。店長のLindaです。

最近中国では、普通の洋服のように着て遊びに出る若者がとても増えているようです。
Webメディアで記事として取り上げられるほど。

「中国Z世代を虜にする漢服ブーム。愛好者やデザイナーが語る」 CINRA.NET カルチャーメディア記事)

 

弊店でもこのところ、漢服が大人気で、撮影でもレンタルでもたくさんご利用いただいております。

弊店でお出ししているものは、晋代、隋代、唐代、宋代、明代あたりのデザインが多いように思います。

今日は時代別に漢服の特徴などをお話ししたいと思います。

 

まずは晋代。

ゆったりした衣装に広い帯というのが当時の流行の服飾であり、自然のままにゆったり感を追求した服装になりました。

女性の上着は着物のように襟もとを合わせるタイプで、長いスカートに広めの帯、というもの。
着物のように、と書きましたが、着物はこのあたりの漢服から影響を受けているといいます。(韓国のチマチョゴリなどもそうですね。)

続いて隋・唐代。

隋・唐の時期になり、服飾は富貴かつ華麗な様相を呈するようになりました。

それは当時の政治、経済、文化、芸術が空前の繁栄を見せた時期であったということを反映していたようです。

この時期、漂白、染色、絹織物の技術が大きく進歩し、それに加えて、シルクロードの開通と対外的な開放によって、クチャ王国(中央アジア)、吐蕃(チベット)、アラビアとペルシャなどの使者もそれぞれの地の文化をもたらした結果、唐朝時期の服飾は多民族の特色が融合され、華やかな衣装・文化が形成されていきました。

 

唐朝の女子はおしゃれが一般的となり、化粧を重視し、眉を描き、唇に紅を注し、ほお紅を塗った。

服飾の特徴は、大きく開いた襟、大きい袖、スカートは腰高で、胸の上あたりで細い紐帯で止めるタイプ。

上は短いシャツあるいはひとえの服を着、下はロングスカート、袖の短い上着を加えて、絹のショールを羽織り、長いスカートを引きずるようにして歩く。

その姿は軽やかで天女のように洒脱で高雅であったといいます。

皆さんが、乙姫様などのイメージで漢服っぽい!と思われるのはこのあたりのものではないでしょうか。

宋代になって、衣冠服飾は唐代の伝統的な服制を踏襲したものの、独自の道を切り開きました。

当時の社会は理学をあがめ尊んで、伝統的で保守的な道徳観を唱道したので、服飾は華麗さを追求することなく、自然の質朴さを主としたのだそうです。

 

宋朝貴族婦女の礼服は大きい袖のシャツで、周の制度にならって、祭祀などの重要な場合には必ず礼服を着用しました。

しかし、一般の婦女の服飾は、上衣は短いもの、ひとえのシャツ、あわせの服、大きい袖、半袖、褙子など、様式は多様で、下はやはりスカート。

そのうち、褙子(一種の外套で、襟は垂直で対になり、丈の長さが膝を超えた長いものであるところに特徴があった)はとても流行し、一般にも貴人にも好んで用いられたそうです

最後に明代。

 

明朝の樹立後、冠服制度は周、漢、唐、宋朝の服制を参照して、伝統的な漢服の制度が復活。

明朝の服飾は材料の種類が豊富で、刺繍の技術も発達していたので、かなり豪華な刺繍がなされたものも多くみられたようです。

婦女服飾は、主にあわせの上着、ひとえのシャツ、褙子、比甲(ノースリーブの長衣)、スカートで、様式は唐宋を踏襲していました。

ひとえのシャツは、深い紅色、黄色、青色は用いることができず、桃色、紫、綠色だけを着用することができたようです。

 

現在は現代風にアレンジされ、色や模様も現代風にアレンジされ、色も模様なども縛りはありません。

現代で私服としても着やすいのはこの時代の衣装ではないでしょうか。

また、最近では、日本のロリータファッションからの影響もみられるようで、可愛い動物を刺繍のモチーフに使ったり、フリルが施された現代漢服、と呼ばれるものも出てきているようです。

ここ横浜中華街でも、時折、漢服をお召しになったお嬢さんを見かけることがあります。(大体は中国人のお嬢さんのようですが)

私ども笑顔変身写真館には、古装衣装お出かけレンタルというプラン(6000円/1着)もございますので、華やかな漢服で中華街を歩いてみるのはいかがでしょうか。