チャイナドレスの歴史 2

みなさん、こんにちは。笑顔変身写真館 代表のLindaです。

 

今回は、全開の続き。
とても隆盛を極めたに見えたチャイナドレスですが、中国の国の移り変わりとともに、衰退し、また復興してきました。

1940年代以降、中国は戦乱に陥り、経済は行き詰り始め、物資も乏しくなっていきました。
チャイナドレスの普及ももちろん行き詰まり、生地の節約の為、襟、袖を短めにするなど出来るだけ生地を使わないような工夫もなされたといいます。

 

1949年以降の社会主義中国では質素な生活が主流とされ、労働に適した服装が一般的になり、チャイナドレスを着る機会は極端に減りました。

さらにチャイナドレスの不遇は続きます。1960年代、70年代の文化大革命です。
文化大革命下では、旗袍や洋服は封建思想や資産階級の意識の表れと見なされ、流行や個人のファッションは全て否定されました。
一般的な服装は「軍服」や「中山装」など紺、灰色、カーキ色になり、女性らしさの全くない中性的なファッションになりました。また物資の乏しい時代でもあり、服の仕立てに使う生地は不足気味で種類、色も非常に限られました。
そんな時代、中国の女性たちは少しでも自身を美しく見せるため服に柄入りの生地を縫い付けたり、小さな手刺繍を施したりしていたといいます。
文化大革命以降、チャイナドレスは中国大陸では一時消滅し、その伝統は香港台湾で伝統が引き継がれました。

1980年代になると改革開放政策により中国には市場経済が導入されました。
生活が豊かになってくると、再びチャイナドレスの文化が蘇ります。
チャイナドレスのデザインはさらに現代風に、スタイルもより女性の美しさを引き出すように変化していきました。
今はチャイナドレスも礼服として着用されることが多くなり、ウエディングドレス、イベント、パーティに出席する際の正装礼服、おしゃれ着として、着用する場面も多岐にわたります。

1920年代上海の映画女優たちがファッションリーダーであったように、現代でも多くの映画やドラマで美しいチャイナドレスが見られますね。
香港や台湾で伝統が引き継がれ、独自の発展をとげたチャイナドレスですが、
日本に最も影響を与えたチャイナドレスは香港で発展したものなのだそうです。

 

また、私ども笑顔変身写真館のある中華街の華僑たちの間で独自のチャイナドレスも存在します。

チャイナドレスはもともと礼装やおめでたい席で着られる衣装としての側面があり、華やかな色のものが多い印象ですが、日本の華僑にのみ「喪服としてのチャイナドレス」が存在するそうです。真っ黒でマオカラーのワンピースタイプのチャイナです。

時代や国によって移り変わるチャイナドレスは、日本の文化にもしっかり溶け込んだということでしょう。

 

現在の中国では、日本で見られるチャイナドレスよりもさらに自由に素材やデザインが変化したものもあるそうです。

服飾の歴史は時代とともに、また着用する女性の地位の向上や変化に沿って大きく変わっていくのでしょう。

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いかがでしたか?
セクシーな側面の注目されがちなチャイナドレスですが、100年に満たないぐらいの年月の中にこんなに深い歴史があったのです。
笑顔変身写真館で写真撮影や衣装レンタルをされる際に、ちょっとだけチャイナドレスの歴史に思いをはせてはいかがでしょうか。